絵を描くことが、幼い頃から当たり前の日常だった。
描きたいと思うものがイメージ通りに描けないことが歯がゆくて、
同じものを何度も何度も描き、真似をして技術を盗み、
美術を学びたくて高校進学をし(絵の基礎が学べなければ学校に行く意味がなかった)
習得した技術を磨くために大学進学をした。
私の人生の大半は、絵を描くことに終始している。
大学を卒業して後しばらくすると、心の病になった。
元々言いたいことが言えない性格だったのが(だから絵を描いているのだが)
どんどん塞ぎ込み、双極性障害と診断されて閉鎖病棟に措置入院することになる。
治療の後遺症で全身の骨が歪み、手は震え、味覚も麻痺するなど
集中力も低下し、一時期完全に絵が描けなくなった。
私は、イメージ通りの絵を描けるようになりたくて今まで培ったものを一度失ったのだ。
絶望の淵に立ち描けなくなった私は、それでも絵を描くことを止められなくて
リハビリを兼ねて一枚の油絵を描き始める。
油彩画 『朝焼けの向こう側』
この絵を近代日本美術協会春季展に出品、大賞を受賞する。
このことをきっかけに、5年ほど美術協会に所属して活動することになる。
※双極性障害は、すでに完治しています。
真面目に、家族を作って普通の幸せを手に入れようと思い、二度結婚をした。
婦人病を患い手術をしたことをきっかけに、真剣に子どもが欲しいと思ったのだ。
それは、普通の人生を歩めるかもしれない、という一種の実験でもあった。
この時、画家として生きたいと思いながらも、理想とする画家像が見つからず、挫折気味だったのだ。
しかし、どうやら子供を産む事はできないらしい、とわかった瞬間、
「それならば誰かの為ではなく、自分の為に生きていきたい」と思い直した。
家族のために描くことをセーブする日々は、私を蝕んだ。
自分の為に生きるということは、描き続けるということ。
絵を描かない私は死んでいるのと同じ。
絵を描かない私を望まれる場所では生きていけないので、残念だが結婚生活には終止符を打った。
そして、画家としてアートと共に生きることを固く決意する。
一度記憶を無くしているからこそ、「今」を世界に残したい。
目の前にある刹那の風景、そこに生まれる感情、それらが現実であるという確証はどこにあるだろう?
もしかしたら、目が覚めたら病院のベッドに寝ていて、今までの全てが夢なのかもしれない。
それでも今この瞬間、自分自身が体験したこと、感じたことはリアルだと信じたい。
今、この時を残すように、または消えた記憶を辿るように。
描き残すことで、夢も現実も世界と繋がると信じ、私は今日も描き続けている。